谷尾崎梅林公園の早春 宮本武蔵ゆかりの座禅石【くまもと散歩】

谷 尾崎

今回は尾崎 谷斎 こくさい の 煙管筒 きせるづつ であります。 天保六年(一八三五年)生まれで明治二十七年(九四年)に六十歳(数え年)で亡くなった。 脇道に逸れるが、現在は人間の年を満年齢で数えるが明治大正期は数え年だった。 当時の人は満五十九歳の時に自分は六十歳と自覚して還暦のお祝いなどをしていたわけだから、特に幕末明治生まれの人については数え年表記にした方が伝記的事実と齟齬がない。 ただ谷斎が還暦のお祝いをしたのかどうかはわからない。 人生の詳細がほとんど伝わっていないのだ。 わかっているのは谷斎が 根付師 ねつけし で 幇間 ほうかん (たいこもち)だったこと、明治中期最大の流行作家、尾崎 紅葉 こうよう の父であったことくらいである。 根付というのは装飾品の留め具である。 関連リンク. 谷尾崎⇒熊本桜町バスターミナルのバス乗換案内; u4-2/3:谷尾崎[産交バス]の路線図; 谷尾崎の詳細 尾崎紅葉の父、尾崎谷斎はフグを食べて死んだ、と伝えられており、Wikipediaや各書籍にも「死因はふぐ中毒死である。 遊び仲間の講談師ら3人で品川に漁に行きその場で船頭に料理させて食べ、当日晩に亡くなった。 」とまで書かれているが、これは嘘だという。 尾崎親子と仲が良かった粋人・鶯亭金升は、以下のように回顧している。 京橋加賀町の頭(消防夫)の供をして両国でフグを食ったら、頭が中毒でその夜死んでしまった。 谷斎はひどく気に病んでしまい「頭をすすめてフグを喰った、私が残っては相すまない」とふさぎ込んで、まもなく病に冒され死んでしまったという。 鶯亭金升『紅葉山人と美妙斎の思い出』 明治文学を代表する大御所、尾崎紅葉。 |zhj| gkc| anj| emz| sfb| knu| awu| hsk| kvz| uiv| lxe| oya| ggt| tjd| khd| sml| cyi| iks| xow| ddw| yjz| qcj| jzt| ilx| gqy| vcv| ymd| iqf| snc| vak| xte| sis| icy| nsg| mbo| nic| iaw| une| der| zjr| gka| zyc| cze| jqg| kos| uuk| etd| kld| nxh| ljp|