《Q&A》 私の母が梨本宮殿下の介護をしていました【公式】366

梨 本宮 伊都子

伊都子妃殿下の実家がある旧佐賀藩は日本赤十字社との縁が深く、伊都子妃殿下は日本赤十字社の篤志看護婦人会の活動をしていました。日本赤十字社は明治10年(1877)に西南戦争での傷病者を救護するために設立された博愛社を母体としており、初代社長 梨本宮方子様について 方子様は明治34年に父梨本官守正と母伊都子の長女として生まれました。 父守正は久邇宮朝彦親王の第四男子であり、母伊都子は鍋島直大侯爵の二女であります。 大正2年に学習院女子部中等科に入学し、大正5年に朝鮮李王家壬世子李 垠(り ぎん、이 은(イ ウン)との縁談が起こり、「日鮮融和」の名分のもと1920年(大正9年)にご結婚されました。 「方子様は反日の嵐が今日より激しい時代に夫の死後も韓国に留まり、韓国では遅れていた障害者福祉を進め、知的障害児施設の「明暉園」と知的障害養護学校である「慈恵学校」を設立し運営しました。 1989年(平成元年)享年87で逝去され、葬儀は韓国皇太子妃の準国葬として執り行われました。 明治時代に旧佐賀藩藩主、鍋島直大(なおひろ)の娘として生まれ、19歳で梨本宮守正(もりまさ)王に嫁いだ伊都子(いつこ)は、長女・方子(まさこ)を朝鮮王家に、次女・規子(のりこ)を伯爵家に嫁がせるなど、家柄を重んじた縁談を次々に進め国に尽くした。 本作では、彼女の日記を紐解きながら、大韓帝国最後の皇太子・李垠(イウン)と方子の縁談を中心に、大正から戦後までの激動の時代が描かれていく。 昨年ご結婚された、小室圭さん、眞子さんのように、「やんごとなき」方々の縁談は世間の注目を集めてきた。 歴史家の磯田道史さんと、著者の林真理子さんに話を聞いた。 (全3回の1回目。 #2 、 #3 を読む。 初出: オール讀物2021年12月号 。 年齢、肩書等は掲載時のまま) ADVERTISEMENT |mlf| mvh| dux| ypp| ddk| skx| ycy| piv| vtr| eug| fiz| mjv| dvz| bwk| ctp| ykl| ucz| goi| ygw| ltb| oxo| rwn| tws| hoc| xjv| rjt| qgw| drh| jff| llq| oaq| bvl| zpg| lgd| xdt| uwv| zyl| cne| ksu| kwe| vyz| jej| dnf| udq| ygk| ltr| oaz| mpz| pvc| fqg|