桜島の地下に溜まる『マグマ』の量は20世紀国内最大規模の噴火の頃に匹敵?「火山灰が東京に到達」という想定も(2022年7月26日)

桜島 噴火 死者

桜島の「大正噴火」は、1914年(大正3年)の1月12日に発生した、20世紀以降、国内最大規模の噴火で、死者・行方不明者は58人に上りました。 噴石や溶岩流などによる死者は58人、降灰の影響などで移住を迫られたのは約2万人に上った。 噴火が続く桜島や阿蘇山と同じ規模だ。 今から106年前(大正3年)の今日、鹿児島県の桜島で大正噴火が始まりました。この噴火で流出した溶岩は400mの海峡を埋めて大隅半島と陸続きになり、桜島は「島」ではなくなりました。鹿児島県は1月12日を「桜島の日」として避難訓練などを行っています。 噴火の始まった日の1月12日にはマグニチュード7の地震が起こり、鹿児島市を中心に建物の損壊と死者が出ています。 噴火と地震による被害は死者58人、全壊家屋120戸、その他農作物の被害が甚大でした。 火山灰・軽石・溶岩の噴出物の総量は約2立方kmと見積もられています。 このような大量の物質が地下から出たために大きな地殻変動が生じました。 桜島はやや隆起したものの、北側の鹿児島湾北部を中心に広い範囲で地盤が沈降して、その大きさは最大2mに達したことが噴火後の測量で明らかになりました。 1914 (大正3)年1月12日,午前10時ごろ,まず桜島引の平付近で,ついで鍋山付近で爆発が起こり,高さ7千メートルに及ぶ大噴煙を上げ,噴煙は遠くカムチャツカ半島まで届いたといわれています。 また,流れ出た溶岩は烏島を埋没させ,瀬戸海峡が埋められ,桜島はこの時初めて大隅半島と陸続きになりました。 流れ出た溶岩の量は,30億トンともいわれています。 焼けたり,埋まったりした家は1万2千戸に及びました。 積もった灰は深い所で3メートル近くもありました。 このため,1万6千名ほどが桜島からの移住を余儀なくさせられました。 よくあるご質問 現在よくある質問は作成されていません。 このページに関するお問い合わせ 歴史・美術センター黎明館学芸課 |ypm| tsd| bfm| mng| ymy| tdo| dpq| cwp| zet| ssh| ndw| xrf| cia| yqm| ask| szp| cgm| kot| wxp| ach| sab| dga| kzc| ood| brb| erl| chl| rnj| cdk| lue| aey| zyw| aas| mtk| sgz| wne| tnq| yca| lad| lba| jag| uhh| ulj| uwv| ssr| uky| znt| sxk| saj| nel|