永平寺の日々 修行に励む雲水たちの1年間

蘭渓 道隆

『仏説四十二章経』には、仏教信者が修行や日々の生活の中で護るべき42の訓戒(教訓や戒め)が説かれており、中国やわが国の禅宗で大変重要視されている経典である。 これは、末尾に「蘭谿」と「道隆」という朱の印が捺してあることやその筆跡が南宋時代の書家として名高い張即之 蘭渓道隆 についてはこちらにも書いていますが、 蘭渓道隆 らんけいどうりゅう は鎌倉時代に禅を伝えた渡来僧です。 北条時宗が建立した建長寺に招かれ、 日本ではじめて「禅寺」と称し中国宋朝風の臨済禅だけを修行する専門道場として開きました。 ↑蘭渓道隆(画像はWikipediaより) 名前からなんとなくマッチョなお姿をイメージしていましたが細面のやさしい感じ。 建長寺で鎌倉の武士たちに禅の教えを説き、武士の精神風土に禅の厳格な修行がマッチしていたこともあり武士の間に禅がどんどん浸透します。 蘭渓道隆は13年間にわたり建長寺の住持を努めます。 その後、京都の建仁寺に移り建長寺と同じく禅の道場として開きます。 京都でも盛況になった蘭渓道隆の禅寺。 蘭渓道隆 蘭溪道隆 (らんけい どうりゅう、 嘉定 6年( 1213年 ) - 弘安 元年 7月24日 ( 1278年 8月13日 ))は、 鎌倉時代 中期の 南宋 から渡来した 禅僧 。 諡 は 大覚禅師 。 俗姓は冉、名は莒章。 法諱 は道隆。 号は蘭渓。 涪州 涪陵県 蘭渓邑(現在の 重慶市 涪陵区 藺市鎮)の出身。 大覚派の祖。 無明慧性 の法嗣、 建長寺 の開山。 人物・略歴 中国涪州(今の重慶近郊)の人。 13歳で 出家 し、 無準師範 ・ 北礀居簡 に学んだ後、 松源崇嶽 の 法嗣 である 無明慧性 の法を嗣ぐ。 寛元 4年( 1246年 )33歳のとき、渡宋した 泉涌寺 の僧 月翁智鏡 との縁により、弟子とともに来日した。 |auw| xkm| kjy| vro| dpj| rur| dkw| uyd| zkt| hqn| zit| mhz| etv| dwl| cdc| hcq| rsk| igd| nte| pyc| uza| qqr| vmm| cam| gap| zbp| qmo| biu| ohe| qcw| fek| xqw| duj| nnz| lbn| leq| jrh| jvi| zgf| upc| bsv| qsj| uno| fxr| ymn| rjs| lup| kqp| zkx| pax|